鶏飯 その3
2006.09.21 Thursday
脱線シリーズ鶏飯、その3、です。
江戸時代の鶏飯は、鶏の茹で汁でご飯を炊くものが多かったようだ、と書きました。
ここで突然、目線を日本から外国へ転じて見ます。
中国の海南鶏飯(はいなんちーはん)、シンガポールのチキンライス、タイのカオ・マン・ガイ(カオは米、マンは脂、ガイは鶏の意味)、インドネシアやマレーシアではナシ・アヤムなど、鳥を茹で、そのスープでご飯を炊いてスープを使ったたれで食べる鳥飯、というのが沢山あるんですねー。『合類日用料理抄』のにわとりめしだ!
ちなみに、インドネシアでは「ナシ・ソト・アヤム」といって、ご飯にスープをかける食べ方も一般的だそうです。ちなみにナシがご飯、ソトがスープでアヤムが鶏ですね。汁かけタイプです。
チキンライスはアジアでは結構メジャーな食べ物である、ということが言えそうです。南方から日本へと伝来した料理なのかな?という気がしますね。
もうひとつ、鶏飯が渡来料理っぽいなと思わせるのは、『名飯部類』に出てくる以下の記述です。「一説には血を合せて飯を炊くというが、生臭く、不潔で食べがたい」。そして、「前の方法(鶏のスープでご飯を炊く)は、長崎の高氏の伝えたもので、大変美味しい」。
「長崎」は、南蛮文化色濃い土地柄です。また、血のソーセージを作ってしまうお国とは違って、血を使う料理というのは、日本ではほとんど無かったといえるでしょう。上の記載も、そうした好みを反映しているようです。これはもう文化の違いとしか言いようがないですよね。日本人が鯨を使いたおしたように、豚でも鶏でも、食べるからには命を無駄にせずに、使いきろうと工夫をするわけですものね。
(でも、日本人は獣肉は食べないとかいいながらも、やれウサギは鳥だ、猪は山鯨だ、薬喰いだ、とかいいながら結構食べてた印象もあるんですが。肉食の話は、左源太さんともからめて、またいずれ)
『シマ ヌ ジュウリ』に載っていた「チイリー(豚の血炒り)」という料理を見たときも、やはり外来食文化の強い影響を感じました。
さて。
今回見た資料は江戸期の料理書版本がメインです。ほとんど京都・大坂・江戸のもので、九州や沖縄の資料ではありません。また、現在の奄美の郷土料理「鶏飯」と、同じレシピも見つかっていません。地域資料を綿密に調べていくと、また、新しい発見があるかもしれませんね。なにかご存知の方、ご教示いただけると嬉しいです。
そんなわけで、今現在の印象としては、鶏のスープでご飯をたき、肉とともに食べる、というチキンライスが南方から日本に伝わり(おそらく、沖縄、奄美、九州を経て本州へ)、時代や地域によってさまざまにアレンジされた。奄美では、その風土と歴史の中で、工夫を重ねて作りつがれ今に至るが、そのほかの地域では、あまり残らなかった、のかな?という感じです。ご飯を白米にして、スープをチキンにした、というのが勝因(?)かもしれませんねー。
日本人の好みからすると、鶏の脂たっぷりのご飯というのは、ちょっと重たかったのかもしれません。昨日書き忘れていましたが、『素人包丁二編』には、ご飯を白米にして、もも肉とささみだけを混ぜる、という「あっさりバージョン」も書かれています。このあたりも、より和風へという流れなのかなと思われます。
すっかり長くなりました。とりあえず左源太さんには登場しない「鶏飯」のお話は、いったんおしまい、といたしましょうー。
→ 2006年9月29日、追加しました!
江戸時代の鶏飯は、鶏の茹で汁でご飯を炊くものが多かったようだ、と書きました。
ここで突然、目線を日本から外国へ転じて見ます。
中国の海南鶏飯(はいなんちーはん)、シンガポールのチキンライス、タイのカオ・マン・ガイ(カオは米、マンは脂、ガイは鶏の意味)、インドネシアやマレーシアではナシ・アヤムなど、鳥を茹で、そのスープでご飯を炊いてスープを使ったたれで食べる鳥飯、というのが沢山あるんですねー。『合類日用料理抄』のにわとりめしだ!
ちなみに、インドネシアでは「ナシ・ソト・アヤム」といって、ご飯にスープをかける食べ方も一般的だそうです。ちなみにナシがご飯、ソトがスープでアヤムが鶏ですね。汁かけタイプです。
チキンライスはアジアでは結構メジャーな食べ物である、ということが言えそうです。南方から日本へと伝来した料理なのかな?という気がしますね。
もうひとつ、鶏飯が渡来料理っぽいなと思わせるのは、『名飯部類』に出てくる以下の記述です。「一説には血を合せて飯を炊くというが、生臭く、不潔で食べがたい」。そして、「前の方法(鶏のスープでご飯を炊く)は、長崎の高氏の伝えたもので、大変美味しい」。
「長崎」は、南蛮文化色濃い土地柄です。また、血のソーセージを作ってしまうお国とは違って、血を使う料理というのは、日本ではほとんど無かったといえるでしょう。上の記載も、そうした好みを反映しているようです。これはもう文化の違いとしか言いようがないですよね。日本人が鯨を使いたおしたように、豚でも鶏でも、食べるからには命を無駄にせずに、使いきろうと工夫をするわけですものね。
(でも、日本人は獣肉は食べないとかいいながらも、やれウサギは鳥だ、猪は山鯨だ、薬喰いだ、とかいいながら結構食べてた印象もあるんですが。肉食の話は、左源太さんともからめて、またいずれ)
『シマ ヌ ジュウリ』に載っていた「チイリー(豚の血炒り)」という料理を見たときも、やはり外来食文化の強い影響を感じました。
さて。
今回見た資料は江戸期の料理書版本がメインです。ほとんど京都・大坂・江戸のもので、九州や沖縄の資料ではありません。また、現在の奄美の郷土料理「鶏飯」と、同じレシピも見つかっていません。地域資料を綿密に調べていくと、また、新しい発見があるかもしれませんね。なにかご存知の方、ご教示いただけると嬉しいです。
そんなわけで、今現在の印象としては、鶏のスープでご飯をたき、肉とともに食べる、というチキンライスが南方から日本に伝わり(おそらく、沖縄、奄美、九州を経て本州へ)、時代や地域によってさまざまにアレンジされた。奄美では、その風土と歴史の中で、工夫を重ねて作りつがれ今に至るが、そのほかの地域では、あまり残らなかった、のかな?という感じです。ご飯を白米にして、スープをチキンにした、というのが勝因(?)かもしれませんねー。
日本人の好みからすると、鶏の脂たっぷりのご飯というのは、ちょっと重たかったのかもしれません。昨日書き忘れていましたが、『素人包丁二編』には、ご飯を白米にして、もも肉とささみだけを混ぜる、という「あっさりバージョン」も書かれています。このあたりも、より和風へという流れなのかなと思われます。
すっかり長くなりました。とりあえず左源太さんには登場しない「鶏飯」のお話は、いったんおしまい、といたしましょうー。
→ 2006年9月29日、追加しました!